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北鉄バス車両ファイル@ U−HT2MMAA


今回は、90年度に1年のみ導入された
(HIMRは除く)U−HT2MMAAを
ご紹介します。すでに残り203のみと
なっており、今年中には姿を消すことが
予想されております。




▼画像:若原さんご提供。
 
89年式までの車両とほとんど違いはありませんが、
形式が変化し、また前方向幕まわりが黒塗りとなり、
イメージが異なっています。
黒塗りとなったことで、やや強そうな顔つきになったの
ではないでしょうか。柳橋住民の私には、あまり馴染みの
ない車両でした。

社番からも分かるとおり、これらの車両は2回に分けて
導入されています。
まず、177までの7台が6月に導入され、171〜174
の4台はバックカメラを装備し西部へ配属され、
大野線に投入されています。
▲ほくてつバス誕生に合わせて東部から2台がやってきました。 最期はすっかり馴染んでいました。

175〜177の3台は東部へ配属され、
当初は花里線などの看板路線で活躍していました。

11月には、202と203が西部営業所に導入され、
この2台も大野線に投入されました。これで、61,
63系統はこれまでモノコック車両ばかりだったのが、
一気に車両の若返りがなされました。

99年、172と203が南部へと移籍しました。
既にこの頃より、営業所ごとにメーカーを統一すると
いったことはなくなってきており、こうした移籍も
しばしば行われていましたが、それでもやはり日野の
旧型(既にハイグレード車に対して見劣りすることから
旧型と言われていました)が30系統に登場したりする
のは異様な光景でした。
▲このグループの車両は、大野線の顔を長らくつとめました。

▲晩年は東部で懐かしい光景を見せてくれました。


  
しかし、この南部時代も長くは続かず、01年には
野々市の加賀白山バスへと2台とも移籍しています。

南部では古参だったのに、野々市では「新しい車両」
としてさまざまな路線で活躍しました。そして、172は
とうとう廃車となりましたが、08年5月時点で203が
まだ現役で頑張っています。(下段の画像参照)

西部の車両たちは、05〜06年の大野線への集中新車投入
によって一気に淘汰されてしまい、廃車となるものもあれば、
金中バスで最後の活躍をするものもありました。
中でも、175は晩年に古巣の東部へと戻り、予備車として
活躍していました(上段の画像参照)。
また、177は 柳橋最後の幕式車両として記念すべき1台と
なりました。



北鉄バス U−HT2MMAA 全車両一覧表
 社  番 所属営業所の変遷 備 考 
20−17106年2月まで西部・金中委託。
→東部へ。スクール運用に。その後、廃車。
20−172 99年3月西部→南部 01年3月→野々市
08年3月、廃車。
20−173 西部営業所に導入、末期は金中委託。
06年3月、廃車。
20−174 西部営業所に導入、末期は金中委託。
廃車。
20−175 東部営業所に導入、その後西部へ。
06年2月西部・金中委託
→東部へ。スクール、競馬運用に。
06年秋〜冬廃車。
20−176 01年3月東部→柳橋
07年1月、廃車。
20−177 01年3月東部→柳橋
07年3月、廃車。
柳橋最後の幕式車両。
20−202 西部営業所に導入、のちに金中委託。
→07年3月、金中。
07年12月、廃車。
20−203 99年3月西部→南部 01年3月→野々市
08年5月現在、予備車として生存。



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