
津幡線
今では金沢市北部方面路線で、唯一無番号の路線として
目立っているのがこの津幡線です。
ただし、現在では上り方向には「87」番が付けられています。
幕は、現行のものですが、既に幕での運行は終了しています。
▼武蔵ヶ辻エムザ前に津幡線、という光景も定着してきました。
津幡線は、昭和18(1943)年12月に誕生しています。
これは「北陸鉄道」としての誕生で、前身の「北陸自動車商会」
により運行されていたものが戦時統合で北陸鉄道の路線となったものです。
(その他詳しくはもりさけてんさんのサイトを参照ください。)
市電廃止までは金沢市内の終点がどこだったのかは、はっきりしていません。
兼六園下または泉車庫だったとおっしゃる方もいれば、資料によっては
太平寺と書かれているものもあり(なぜ太平寺なのかも分かりません)、
謎であるとしか言いようがありません。。。
市電廃止の昭和42(1967)年2月改正では、津幡線の名前は出てこず、
「上荒屋線の一部を本津幡町まで延長する」とあり、
上荒屋〜兼六園下〜本津幡 14往復
が設定されています。しかし、14往復とはやや少ないことから、
泉車庫発着便もあったものと思われます。
(もしかしたら高松線の一部という扱いだったのかもしれません。)
そのことを裏付けるものとして、翌43年11月改正を報じる新聞には
「高松、津幡線は泉車庫から兼六園下発着に変更し、津幡線は60分間隔から
30分間隔に増発。」とあります。同時に、津幡〜上荒屋の系統は消滅
しており、増発もこの上荒屋系統の代替なのでしょう。
これ以降、平成に至るまで系統の変化はなく、ほぼ30分間隔で
ほとんどの便が旧道を経由していました。
昭和50(1975)年4月には、「82」番の番号を与えられています。
が、これもほかの近郊系統同様昭和59年には無番号となっています。
昭和60(1985)年の改正では、日中の便が60分間隔に減便され、
かわりに87循環寺町B線が国道今町まで走ることでこれを補うように
なりますが、これも長続きせず、昭和62年3月改正では金沢駅〜今町の
88森本線が87循環寺町線を置き換え、津幡線を補完する体制となり、
平成を迎えます。
▼05年〜08年には中型ノンステがメインの運用でした。
平成(1993)年改正では、これまでの旧道経由から国道経由を、
メイン経路とし、これで高松線を補完するようになりました。
日中はほとんどが国道経由となり、旧道経由が寂しい状態となっています。
そして、平成10(1998)年3月には今町までの森本線が柳橋までとなり、
高松線も金沢市内から撤退し寂しい状況となりましたが、87野町鳴和線が
一部今町まで延長されたため、片町から森本方面が便利になりました。
同時に、渋滞による遅延防止のための実験ということで、
橋場町経由から現在の彦三経由に変更されましたが、この時は
利用者のクレームが多発したため6月には橋場町経由に戻されています。
平成12(2000)年3月改正では、柳橋円光寺線の一部を津幡線が
肩代わりをするという便が数便誕生しました。これは平成16年に1往復
のみとなってしまっていますが、所要時間も長く、乗務員の評判もよくなかった
ことも原因のようです。
また、この年から西工「プチ」が柳橋営業所に導入され、津幡線に
投入されました。これもまた評判がよくなく、積み残しを出すなど
悲惨な結果を多く残してくれました。
そんなこともあり、平成16(2004)年4月改正では、この円光寺〜本津幡
は一往復のみとなり、野町駅発着となりました。
しかしこれも野町鳴和線の肩代わりで、津幡線は彦三経由となりました。
さらに野町駅行きは87番となり、野町鳴和線と区別がほとんどつかない
ようになりました。
さらに翌05年8月には津幡町内でまさかの経路変更が行われ、
清水経由からパピィ1通り経由となり、古くからの津幡四つ角を
ようになっています。また、終点も本津幡から本津幡駅となっています。
(休憩場所は今もかつての「本津幡」となっています。20〜30年前はこの場所に
「津幡車庫(通称?)」があり、津幡駐在もあったようです。)
担当は、柳橋→01年より「ほくてつバス」(円光寺系統のみ北陸鉄道のまま)
となり現在に至っています。
04年に彦三経由となってから作られた幕です。
…明らかに何かが間違っています。
が、これも使われていた幕です。134号車に入っていました。
円光寺→本津幡に使われている幕です。
なお、本津幡→円光寺は柳橋→円光寺と同じ幕です。
▼現在も一本のみが残っています。「森本、八幡経由、本津幡行きです」
懐かしいですね。
07年に柳橋から幕車はなくなりましたが、
最期までこの幕は搭載したままでした。
画像:H−199さんご提供。
こちらは旧道経由の幕です。
昭和60年ごろの兼六園下モータープールでの一枚です。
後方右のブルドッグは「羽咋駅」行き、後方左のブルドッグ
は「急行 東回り 七尾駅」です。
津幡線もまたブルドッグでの運用でした。しかも77年式以前の
2枚折戸の車両でした。そして、小型幕の車両はなるべくスッキリ
と見えるように「本津幡」ではなく「津 幡」表記でした。
画像:H−199さんご提供。
橋場町経由がなくなると、その経由地を消して
早朝の柳橋→本津幡の便に使われていました。
もちろん純正品(?)の幕もあります。
柳橋行きは現在ではなくなっていますが、かつては夜に本津幡からの
回送がわりで柳橋行きが走っていました。
88年に中型車が導入され、新車が津幡線や高松線に投入される
という異例な配置となりました。90年には、この88年式を
置き換え、この90年式(パイプ椅子ではない)が90年代の津幡線の
カオともいえる車両でした。
97年にはこの中型車は津幡線から消えて全て能登地区へと移籍して
いきました。最近まで活躍していたのですが、とうとう今年で全滅でしょうね。。。
その97年ごろの柳橋には、
79−116:津幡線旧道
70−166:森本線
70−167:河合谷線
での活躍でした。私個人的には、169(画像の車両)の印象が強いですね〜
経由地が「武蔵ヶ辻」表記のものは、初期のエアロスターと中型に入っていました。
画像&情報:もりさけてんさんご提供。
経由地が「香林坊」表記のものは、中型車やハイグレード車(ローマ字併記前)
に入っていました。
こちらの幕は、中型車とブルドッグほかエアロスターの一部でも
見ることができました。比較的最近(といっても10年以上前ですが)
まで残っていたように思います。
最終期の幕です。旧道経由も国道経由も共通の幕です。
武蔵ヶ辻か香林坊の表記が欲しかったところでしたが。。。
おまけです。
平成16(2004)年4月からは、87番を市内方向は
掲げるようになりました。
それまでの87番は「彦三/香林坊 野町駅」の幕でしたが、
なぜかこの時にこの幕に新調された車両が何台もいました。