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三菱MR470 38−944
北陸鉄道は長らく金産車体を採用していたことで有名です。 そのため、全国的にも珍しい三菱+金産の車両が活躍していました。 日野車との違いはライト形状にあります。 三菱車は日野車よりも丸い形になっていますね。 また、前面には「ワンマン」表示幕があります。 このバスの導入年からワンマンバスがスタートしており、 この車両も柳橋営に導入されたのではないかと思われます。 なお、後幕には種別幕と行き先幕があり、行き先幕には 「交通安全日」と書かれていました(^^;) なお、後部の種別幕は69年式から廃止されています。 後幕そのものもその後91年式車まで廃止されています。 |
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日野RE120 社番不明(72〜73年式か) さきほどは廃車体でしたが、こちらは現役時代のものです。 写真の場所は石引町バス停で、昭和60(1985)年のものです。 おそらく廃車寸前だったと思われますが、これがわずか20年前の 画像とは思えないですね。 引戸は71年式車までで、72年式より折戸に変更になっています。 ただ、この年代はまだ「バス窓」は健在です。 |
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日野RD100(?) 社番不明(75〜76年式か)
こちらも80年代の画像です。この頃には金産から日野車体 へと変更になっていますが、この車両がどちらのボディーなのかは 私には判別できません。どなたかご教示ください。 三菱車もこの頃には三菱ボディを採用するようになっています。 この車両、路線タイプですが、同形車で特急運用に入っている ものもあり、その際は前扉に「出入口」と書かれていました。 |
![]() | 三菱MP117M 37−446
こちらも廃車体ですが。。。 MP系ですが、有名な「ブルドッグ」ボディは78年式からなので、 MR系などと同じG4ボディを採用しており、いわゆる過渡期の車両です。 このあたりから、私もなじみのあった車両なので、親近感がわきます。 90年代までは健在で、卯辰山などで活躍していたと思います。 |
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三菱K−MP118M 30−669
78年式車からはいわゆる「ブルドッグ」といわれる三菱車が、 かなりのまとまった台数が導入されています。また、この頃からは 低床車が導入され、さらに80年代になると冷房車も導入され、 既存車両も冷房改造されていきました。 画像は2枚折戸のブルドッグです。この車両は白峰地区で活躍を 続けました。また、2枚折戸の車両は日野車にもわずかながら導入され ています。そのほか、数台ミディサイズで特徴のある顔つきの中型車も 柳橋営に導入されています。 |
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日野K−RC301 22−751
日野のモノコック車両としての最終形態で、以前の形式と比較して だいぶ完成された姿をしています。 いかつい表情の三菱に対して日野は丸っこい表情をしていますね。 現在とは間逆のところがおもしろいですね〜 |
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三菱K−MP218M 32−767
通称「ブルドッグ」の最終形態で、83年まで増備されました。 とくに、82年度には22台と大量に増備されております。 95年ころまでは金沢地区でも活躍を続け、その後は能登地区に 移籍し、90年代末期までその姿を見ることができました。 ちなみに、この767号車は快速小松線でも活躍し、 その後は能登西部バスへと移籍し、気多大社臨時バスや原発輸送 にも運用されました。そして、おそろしく長寿で、21世紀を迎えて もなお活躍していましたが、02年頃に廃車になっていたと思います。 |
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日野K−RT225AA 23−807
83年、いよいよ大型バスもスケルトン化されていきます。 すでに80年から中型バスでスケルトン化が図られ、北鉄でも 導入されてきましたが、その過渡期の1年にのみ導入されたグループです。 私はこのRTを「なんとも中途半端なバスやなぁ」と幼い頃よく 思ったものですが、やはりそれはこの翌年に登場した三菱エアロスター を「普通のバス」だと認識しているからなのでしょうね(^^;) 爆音としても有名なRTですが、やはり過渡期の車両なのでしょう、 形こそスケルトンですが、小型方向幕に引き下げ式の窓など、 まだまだモノコック車の要素を残しています。 |
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三菱P−MP218M 35−902
84年にフルモデルチェンジされた三菱MP系は、 それまでのバスのイメージを払拭しました。 北鉄もこのエアロスターに強く惹かれたらしく、 同年の路線大型新車は全て三菱車を導入しています。 この新車たちはすべて平和町線に投入され、同年始まった 「新バスシステム」の目玉(?)として人々の注目を集めました。 まず目をひくのはワイド化された方向幕、左右スライド式の窓、 スクエアなフォルムなどなど。。。 登場当初はわざわざこのバスを待って乗る人もいたそうです。 |
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日野P−RT225AA 25−915
日野車も85年式車両から「都市新バス」風になりました。 仕様は三菱車と同じになりましたが、その違いは車両の後姿で 一目瞭然でした。また、なんといってもRTであることから爆音 は健在でした。この車両たちも「新バスシステム」第3弾に貢献し、 金石・大野・大野港・問屋団地線に投入されていました。 また、この日野新車からドア部分が黒塗りになっています。 この塗りわけがこのあと続き、現在の北鉄バスの多くの車両に 見ることができます。 |
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日野P−RJ172BA 64−864
中型車は82年度導入車両からスケルトンタイプが採用されており、 「大型車と比して燃料消費面からも大きなメリットを持っており、 省エネタイプの車両として大いに期待される」とのことです。 そういったわけで、以降毎年増備され続けていましたが、 どうも80年代後半にはやや時代遅れの感が出てきました。 画像は、加賀温泉バス発足時のもので、再塗装されたのか ピカピカの状態ですね。 |
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三菱P−MK116J 77−003
三菱車も82年度から中型の車両が導入されました。 当初は日野・三菱ともに前中扉の導入でしたが、 翌83年式からは前後扉仕様となり、以降中型バスの基本形と なりました。 86年式は大型幕が採用され、近代化したかに見えましたが、 翌87年式はなぜか再び小型幕に戻っています。 おそらく廃車発生品を使用したためと思われますが、 さらにその翌年の88年には一気に近代化します。 |
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日野P−RJ172BA 68−057
いよいよ中型車も近代化してきました。 先述の車両と全く同じ形式とは思えませんね。 西部に3台、東部に2台が配備され、近郊路線で活躍しました。 それによって、さきほどの中型車は加賀・能登へと転出していきました。 |
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P−MK117J 70−169
同様に88年式から三菱車も近代化しました。 「都市型低床バスの中型版」として喧伝されましたが、 本当にその通りだと思います。89・90年度にも増備され、 当初柳橋・野々市に導入されましたが、そのつど古い車両は 加賀・能登へと転出し、88年式車は90年式車導入の際に わずか2年で金沢を離れています。 これらの車両は金沢よりも加賀・能登での乗客の皆さんに 喜ばれていました。これら中型車は冷房化にも大きく貢献しました。 |
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日野P−HT235BA 29−100
現在ではもう残り少なくなった車種です。 金沢地区でも金中のみとなっていますし、能登・加賀でも中古車に 置き換えられていて、近いうちに全滅するものと思われます。 シート配列など、年式によって仕様が微妙に異なっているのも 特徴です。 |
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三菱U−MP218M 30−182
大量導入されたエアロスターですが、 この90年式がローバックシート最終年となり、翌年からは ガラッと様相を変えた「ハイグレード車」が登場します。 大量導入されていたこともあって、 現在でもまずまずの台数が残っていますが、中古車導入で 急速にその数を減らしています。私にとっては、幼い頃の 「北鉄バス」のイメージそのものの車両ですので、やはり寂しいですね。 |
![]() | 日野U−HT2MMAA 20−203
90年式の日野大型車は形式も変化し、また方向幕まわりが黒塗りとなりました。 そのほかの違いは私には発見できません(^^;) このタイプの車は大野線を中心に投入され、当時はかなりオンボロな車両だった同線 が一気に若返りました。このサイクルは約15年間隔なのか、 同様の現象は06年にも起こっていますね。 |