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今夜の番組チェック
92鈴見線
長らく東部営業所の路線として活躍を続けてきた鈴見線ですが、
いったんほくてつバスに移管され、大きく様変わりしました。
しかし、08年4月より再び東部担当に戻り、10年前の雰囲気に
戻っています。幕も同じものを使用しております。
東部の幕で、若松までの区間便に使用されています。
▲画像:助ける役さんご提供。
鈴見線は、昭和46(1971)年4月に誕生しています。
これは、団地造成が進みつつあった田上・鈴見地区の住民の要請と、
奥卯辰山公園に近かったことから、一日8往復が用意されました。
当時の経路は現在とは全く異なるものでした。
兼六園下から小将町を経て田井町に至る「兼六大通り」が当時は
まだなく、そのため
香林坊〜兼六園下〜大学病院前〜田井町〜鈴見〜田上住宅
というものでした。大学病院から先は、
田井町、鈴見、若谷、若松、上若松、若松園前、田上住宅
の順に停車していました。
昭和50(1975)年には「13番」が与えられます。当時の色別方向幕には
鈴見・旭町方面は用意されておらず、この地区がこれ以降どれだけ
発展しかかが分かるかと思います。
昭和54(1979)年10月の市内循環線廃止に伴い、
現行のルートに変更され、この時新設された「1旭町線」と共に
「9鈴見線」として生まれ変わっています。
また、この時から起終点が香林坊から金沢駅へと延長されています。
昭和59年にようやく鈴見・旭町地区に黄色の色別幕と、
90番台の番号を与えられ、鈴見線は「92番」となり、現在に至っています。
本数は、昭和55(1980)年の時点で毎時2本(金沢駅毎時15分、50分発)
となっており、ただし毎時50分の便は若松止まりとなっていました。
平成に入ると若松止まりが減り、ほとんどの便が田上まで走るようになります。
平成7(1995)年11月には、田上住宅の宅地化の進展に伴い、
終点の田上住宅の位置を変更し、田上1丁目を新設しています。
平成13(2001)年3月になると、鈴見線は柳橋(ほくてつバス)に
委託され、東部の手を離れます。この時から日野車一色だった鈴見線に
ふそうワンステなどが入るようになり、所属は「北陸鉄道」でも
何らかの変化が起きていることを実感させられました。
平成15(2003)年4月に、ほくてつバスに移管されています。
ますます東部色が薄れ、下の画像のような中型車も活躍するように
なりました。
しかし、同年12月より始まった終バスの繰り下げは鈴見線では
とくに好評で、現在も続いており、とくに週末の混雑はラッシュ時
並みだそうです。
ほくてつバス担当になり、車両も東部から移籍したものが使われていたり
しましたが、幕は新調されています。
ところが、平成20(2008)年4月に再び東部担当に戻り、
今度はほくてつ時代が過去のものとなってしまいました。
(深夜の終バスなど一部は依然としてほくてつバス担当です。)
しかし、同時に07年より消滅していた幕での運行が
復活したので、当サイトとしては喜ばしい限りです。
ほくてつバス担当の頃の若松行きの幕です。
07年には、その若松行きの一部が金沢大学へと延伸され、「93番」に
なっていたりもしました。
▲鈴見線なのに「93番」として金沢大学〜金沢駅を
走っていました。
08年4月の改正以降、幕回しの際や休憩中の車両で頻繁に見ることが
できる幕がこの「朝霧台」行きです。
もちろん、このような系統は存在せず、おそらくこれから使われる
幕なのでしょう。
朝霧台は、田上1丁目の先を直進し(数年前まではこの道はなかった)、
朝霧大橋の付近に造成中の住宅地を指すものと思われます。
なお、ここで掲載した情報は、管理人個人の判断のよるものであり、
くれぐれも関係機関にお問い合わせをなさらないようお願いいたします。
99年ごろから幕の合理化が行われ、鈴見線も白黒幕となりました。
93系統とも共通の幕でした。
これは08年4月から再び見れるようになっています。
ほくてつバス担当になってから、幕はこのようになりました。
07年夏で幕は見られなくなり、さらに現在では東部担当に戻った
ため、非常に貴重なものとなりました。
04年4月改正に伴い、なぜか一部の幕が新調されています。
突如番号入りカラー幕がなぜか92系統のみ復活しました。
なお、同時期には「87香林坊/彦三 野町駅」が「87彦三 野町駅」
となるなど、不思議な変化がありました。
平成12(2000)年3月ダイヤ改正より、中央病院まで朝の一部便が
延伸されており、当初は64番となっていましたが、県庁移転に伴い
01番となり、その後現在の06番となっております。