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82鳴和増泉線 82柳橋県庁線




現在の鳴増線の最も基本的な幕です。
経由地表記などはおそらく誕生時から変化していないと思われます。
車両は、90年式ふそう車と日野236・238や新車ノンステが運用に就いています。

 鳴増線の誕生は昭和49(1974)年6月で、
循環東大通り線の廃止代替として産声をあげています。当時の本数は、
柳橋〜金沢駅〜西金沢:74便
柳橋〜金沢駅    :4便
と、たいへん多く、およそ15分間隔での運行だったと思われます。
担当は、当初から柳橋営でした。
 翌昭和50年には鳴増線は「6」番の番号が与えられ、方向幕も黄色になります。
だいたいこの頃には現在のダイヤに近くなっており、
およそ30分間隔での運行となっていました。この形態が20年ほど変化なく続きます。
また、路線番号も昭和59(1984)年には現在の「82番」となっています。

鳴増線の存続の危機は、平成9(1997)年でした。
バスレーンのない昭和大通り・東大通りを通る同線は、定時運行が困難で、
20分以上の遅れもしばしばでした。
そのため北鉄では、定時性確保のため路線を金沢駅で分断し、
柳橋〜西金沢の直通便は2〜3本に1本となってしまいました。
しかし、ダイヤの正確さは改善されましたが、不便さからか逆に乗客は激減しました。
結局このダイヤは1年で改正され、40分間隔に減便されましたが従来のような
通し運行となりました。
平成12(2000)年にはあの名車(迷車?)「プチ」が登場し、
さまざまな路線で猛烈な批判を受けますが、鳴増にはちょうどよかったらしく、
翌年の分社化でほくてつバス担当となると、プチバスばかりが走っていた時期もありました。
この頃は初代城下町周遊号や96年式ワンステなどバラエティー豊かな車両が
82系統を走っていた時期でもありました。
 平成15(2003)年4月には、突如加賀白山バス担当となり、
ダイヤも西金沢基準のものとなりました。
当初は日野中型やプチも運用に入っていましたが、
2005年はオールふそう89・90年式の運用となります。
翌年からは新車も投入され、幹線(?)らしくなりましたが、
まだまだふそう旧年式車も健在です。



LED幕バージョンの幕です。
経由地表記なども同じでしたが、
2006年7月に、白山バスのLED幕が新製されたため、
LEDのみ「金沢駅/富本町」表記となっています。
左が06年6月撮影で、右が06年7月撮影のものです。



平成16(2004)年9月から、一往復が星稜高校経由となりました。
当初は試験的なものだったらしく、運転手さんが星稜高校からの乗車人数を
記録していましたが、徐々に生徒たちにも浸透し、現在でも継続されています。



金沢駅発西金沢行きはこのような幕を掲げていました。



西金沢発金沢駅行きもこのような幕を掲げていました。
現在では区間便はありませんが、かつては西泉発も存在していました。



最も基本的な82柳橋行きの幕で、現在でも見ることができます。
ちなみに、金沢駅乗り場は当初は0番乗り場でした。
現在の乗り場は能登特急と時間がしばしばかぶり、
あまり利用しやすいとは言えません。



写真左は06年6月までの旧LED幕、
右は現在のものです。新LED幕の場合は「金沢駅/神宮寺」表記となっています。



朝の星稜経由柳橋行きの幕です。
学生で満員となるため、この便はP尺車の350がよく運用に就いています。
ですので、あまり幕は見れないかもしれません。



柳橋発金沢駅行きの幕です。現在、野々市車に入っているかは未確認です。
一時期はよく使われていた幕です。



こちらは現在野々市車に入っています。
一度この幕で運行されているところを見たことがあります。



平成15(2003)年1月に運行を開始した、柳橋県庁線の幕です。
82系統ですが、路線名は別です。また、担当も当初から金中です。
路線は、金沢駅東口経由で県庁へと至っていましたが、
ほかの路線と同様にその年の3月から東口通過になっています。
車両は、主に富士重工プチや日野中型が入っています。



戻りの柳橋行きの幕です。こちらは西口・東口ともに停車します。
幕では82番を掲出していますが、ノンステやLED車の場合は黒幕を用います。
よく見ると、経由地の順序が間違っていますね(^^;)
「県庁前」を強調する必要はない、とは乗務員さんがたのほうでも
定説になっているそうです。