71内灘線




金沢地区の路線で唯一宇ノ気地区に乗り入れている71系統です。
ただ、兼六園下〜内灘駅〜宇野気駅の全区間走破便は少なく、
朝夕以外は内灘駅発着となっています。

方向幕は、いたってシンプルな表記となっています。
かつては確か「内灘」の経由地表記があったと思いますが、
98年の宇野気駅乗り入れの時か
01年の金中バス移管の前後に幕が作り変えられたものと
思われます。


内灘線の前身は安江自動車の路線で、
浅電の新須崎駅と国鉄の宇野気駅を結んでいました。
この安江自動車は戦時統合で吸収・合併して「北陸鉄道」に
参加し、おそらく戦後になって路線を金沢まで延ばしています。

昭和35年ごろには泉営業所の担当で、「安原内灘線」なる
路線が存在していたそうです。このことから推測するに、
宇ノ気〜内灘〜香林坊〜富本町〜倉部という長大路線が考えられますが、
当時を知る方の記憶のみで、資料にはいっさい登場してきません。

昭和43(1968)年には兼六園下発着となっています。
さきほどの結合路線が事実なら、このときに系統分断がなされた
ものと考えられます。そして担当が西部営業所に変更されています。
また、宇ノ気方はこの頃までに終点を余地まで延長しています。

そして、この当時の内灘線は上諸江から向粟ヶ崎までは浅野川堤防道路を
経由していました。ただ、道路が狭いため昭和45(1970)年には
現在の三浦・粟崎経由に変更されています。また、
この時に「ニューアカシヤ住宅(現.旭ヶ丘)」「向粟ヶ崎」が新設されています。
また、この頃に内灘町内での経路も変更されており、
現在のように鶴ヶ丘経由となっています。

昭和51(1976)年には宇ノ気で系統が分断され、
余地線はそれ以降、西部・柳橋・羽咋など担当営業所を転々と
していき、平成になってひっそりと廃止されていっています。
なお、平成になっても西部の旧式車両には番号なしの「 余 地 」の
方向幕があったといいます。



平成15(2003)年より金中バスではLED幕改造が
始まりました。また、05年にはLED幕の変更がなされ、
ローマ字併記となっています。
画像の幕は現在のものです。



05年12月に新LEDに変更される前の画像です。
この幕は内灘駅〜宇野気駅の便に使用されていました。

このような区間便は平成10(1998)年の改正で誕生しています。
それまでの内灘線はほぼ一時間間隔で、日中は大根布5丁目までの区間便を
含めて30分間隔となる時間帯もありました。
また、平成になってくると乗客の減少とJR七尾線の電化の影響で、
宇ノ気まで走る便も減り、直前の大崎北口止まりとなる便が
増えはじめました。

平成9(1997)年には減便に加えて、兼六園下発着便が日中は
金沢駅西口もしくは内灘駅発着となりました。
そして翌98年には日中を1時間間隔に増便する代わりに系統を
朝夕以外は内灘駅〜宇野気駅としました。
なお、この時に終点が宇ノ気から宇野気駅となっています。

その後は71系統は日中はひたすらプチが行ったり来たりを
繰り返していますが、そのプチも近年は能登地区に転出され、
変わりに中古車の運用も目立ってきています。
そして残念なことに、日中便も近年は2時間間隔に減便されています。



河北台商業高校へのバス乗り入れは昭和60(1985)年9月より
実施されています。駅からも遠く、バス乗り入れは生徒・教職員から
大歓迎されたといいます。
幕では宇野気駅表記ですが、これはもちろん平成10年以降のことです。

しかし、少子化の影響で平成15(2003)年には同校は閉校し、
その存在意義を失ってしまいます。
それでも高校前バス停を「河北台」と改称し、一日一往復の
運行を継続しましたがこれもすぐに廃止になっています。



「商業」と「商校」の違いなのですが。。。
つい最近まで私も見落としていました。
製造時期の違いなのでしょうね…



幕がローマ字併記になる前、平成初期まではこの幕が使用されていました。
ただ、「宇ノ気」だったか「宇の気」だったかの記憶が曖昧です。
路線図には「宇ノ気」と書かれている年が多いですが、
時刻表では「宇の気」となっていることが多いです。
幕がどっちだったのか覚えていらっしゃる方はご教示ください。



河北台商業高校と宇野気駅を結んでいた系統はこのような幕を
使用していました。「71」が消えていますが、あえて入れる
必要もないのでしょう。

まだ「宇ノ気」だった頃、この系統に関しては柳橋営が
高松線の間合いで走っていたと思います。
朝夕のみ片道回送で生徒の輸送にあたっていましたが、
現在からはかつての面影を偲ぶことはできません。
なお、柳橋営時代は「本宇ノ気=河北台商業」の運行でした。



現在も夜に2本走っている大崎北口行きの幕です。
表記はその手前の「大崎」となっていますが、
これは84系統の「大浦」でも同様の現象が見られますね。



現在でも71系統のバスロケにある「大根布」の正体はこの系統です。
まだ内灘地区での乗客が多くいたころは内灘大橋手前の大根布5丁目まで
走る系統が存在していました。



宇野気駅発の系統に使われている幕です。
現在でも運用によっては見ることができます。
内灘〜宇野気という、金沢には届かない系統ですが番号が
しっかりと与えられています。



こちらは宇野気駅発で河北台経由で内灘駅へ至る便に使用され
ていた幕です。もちろん現在では見ることはできません。
まだこの系統が健在の頃は平日の夕方か土曜のお昼に
使われていました。



さきほどと同様、「河北台商校」表記の幕も存在していました。



兼六園下には至らずに、金沢駅西口で終点となる系統も
存在していました。現在は、、、あるのでしょうか。
(勉強不足でスミマセン。)



大根布発の系統は武蔵が辻終点となるものが多くありました。
逆に夕方には宇ノ気行きに続行または先行して、
武蔵が辻始発の大根布行きもあったといいますから
いい時代だったとしか言いようがありません。



こちらは現在でも見ることができる兼六園下行きの幕です。

この画像ですが、いささか意味不明に映るかもしれませんので、
少々の解説をさせていただきます。
撮影は05年の百万石祭りの日です。金中担当便の
金沢駅〜橋場町〜兼六園下に使われていました。
金中バスは幕の種類が豊富すぎているのですが、
なぜか適当な「兼六園下」行きの幕がなかったらしく、
71系統を掲げしかもプラ板で「橋場町経由」と書かれている
なんとも不思議な一枚です。



ご丁寧にも、宇野気駅発河北台経由の兼六園下行きの幕も
用意されていました。
実際に使われることはかなり少なかったものと思われます。。。



こちらもやはり「河北台商校」表記です。
なぜ同じ営業所の同じ系統なのに異なった幕が作られるのでしょう。。。



▲武蔵が辻→本町(?) 玉川町にて
07年夏、道路祭り迂回運行時に撮影。


71系統というと、元週遊号が運用に入っていることでも
有名です。広いシートで快適に長時間の移動ができます。
こういう車両を津幡・寺井・白峰にも入れてくれれば。。。と思ったりもします。