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70錦町粟崎(問屋団地)線




現在は10系統と結合し、錦町粟崎線となっている70系統ですが、
長年の名称は問屋団地線でした。
現在の幕はLED共に基本的にこの1種類のみの使用となっていますが、
幕には実はかなりのバリエーションがあるらしく、
こちらの幕は東部車庫方面から来る便で使用されています。
西部、ほくてつバスともに同じ幕となっています。
が、現在は全てほくてつバスによる運行のため幕は見ることは出来ません。



東部営と西部営が担当していた頃、
東部ではこの幕が使用されていました。
反対側10系統でも東部の幕の経由地はやはり
「金沢駅西口」のみとなっていました。



兼六園下発の便は現在はこんな幕を出しています。
とくに区別しなくてもいいと思うのですが。。。



まだ金沢駅経由で、「問屋団地線」を名乗っていた頃の幕です。
平成10年改正までは「粟崎」は「粟ヶ崎」の表記でした。

もともと粟ヶ崎には、
兼六園下〜中橋〜鞍月小学校前〜粟ヶ崎の「粟ヶ崎線」が走っていました。
ただ、本数は現在とは比べ物にならないほど少なかったようで、
昭和45年の廃止時には7便だったようです。

昭和42(1967)年9月、問屋団地線が誕生します。
運行区間は、金沢駅〜団地会館前間でした。
しかし、問屋団地内には乗り入れてなかったとのことですので、
西部車庫前からそのまま問屋会館前へと至っていたものと考えられます。

翌43年11月、西部営業所の開業とともに問屋団地線も
現在の形に近づいてきます。
毎時00分問屋団地発の、問屋団地〜金沢駅〜香林坊の系統と、
毎時30分問屋団地発の、問屋団地〜金沢駅〜橋場町〜兼六園下の系統の
2種類が誕生しました。このうち橋場町経由の系統は、
平日のみの運行でした。
また、この改正で粟ヶ崎線は香林坊発に変更され、経路は双葉住宅前経由に
変更されています。このことから、従来の粟ヶ崎線は中橋〜北安江〜上諸江を
経由してそこから鞍月の旧道に入っていたのではないでしょうか。
12月には問屋団地内へと乗り入れています。

昭和45(1970)年4月、市道開通ならびに粟崎の住宅団地造成により
問屋団地線が粟ヶ崎へと乗り入れします。途中、
直江・近岡・粟崎南口・木工センター前・粟崎住宅前・粟崎のバス停が
新設されています。
これに伴い、従来の粟ヶ崎線は廃止されています。この頃すでに
五郎島線と同じ経路となっていたため、代替は五郎島線で金沢駅〜鞍月小学校前を
7往復増便という形で対応しています。
また、この改正で問屋団地線はワンマン化され、2つの系統を結合して
橋場町→兼六園下→香林坊→武蔵が辻→金沢駅のラケット循環体制になっています。
このため、上諸江から香林坊へと行くには問屋団地線よりも内灘線を利用する
人が多かったといいます。
本数は、問屋団地止まりが11便、粟ヶ崎行きは16便となっていました。

昭和50(1975)年には系統番号が付けられ、
「70番」は現在でも継承されています。
昭和56(1981)年3月になってこのラケット循環は終了し、
すべての便が武蔵が辻〜香林坊〜兼六園下というおなじみの系統となりました。

平成4(1992)年には問屋団地を通過する便が登場しました。
これまでも朝のみは問屋団地を通過する便は存在していましたが、
日中にも出てきたことで、方向幕にも「直通」と書かれたものが新たに製造されました。




平成4(1992)年には問屋団地を通過する便が登場しました。
これまでも朝のみは問屋団地を通過する便は存在していましたが、
日中にも出てきたことで、方向幕にも「直通」と書かれたものが新たに製造されました。
…が、幕のどこに「直通」と書かれていたのかは覚えていません。
ですので書かずに掲載してありますが、ご存知の方はご教示ください。



平成9(1997)年2月、内灘駅まで2時間に1本が延長されました。
緑台の住民の利便を図ったものとみられ、現在でも利用は活発です。

また、この改正で粟ヶ崎3丁目発内灘駅行きが平日朝のみ2便が
新設されました。06年2月のフィーダーバス実験を連想させる
系統ですが、数年(あるいは1年)で消滅しています。
この系統の存在は、粟崎3丁目のバス停の路線図にも載っていましたが、
現在もこの路線図はおそらくそのままになっていると思われます。

翌平成10年3月の大改正で、問屋団地線は錦町A線と連結し、
「錦町粟崎線」として新たなスタートを切りました。
この時に、従来の武蔵が辻〜金沢駅〜七ツ屋〜諸江町小のルートから、
現在の六枚町・金沢駅西口・北安江経由に変更されています。

担当は、西部営に加えて東部営も運行することとなりましたが、
どちらも日野車だったので、それほど違和感はありませんでした。
平成15(2003)年4月、東部営の敷地内に「ほくてつバス東部駐在」を
設置し、東部担当便はこちらに移管されました。

それ以降は、2003年4月に再び問屋団地通過の便が夜間のみ
復活したこと以外は変化なく現在に至ります。

幕は、やはり西部営・ほくてつバスのものです。
しかし、08年4月に西部担当便もほくてつバスに移管され、
こちらは柳橋の車両が担当しております。



ご覧の通り、LEDでも表記はほくてつ・西部ともに同じです。
。。。と、ただ参考までに用意した画像でしたが、
この車両の移籍でこちらも既に過去の光景となってしまいました。



もはや懐かしの東部担当時代の幕です。
思えば、わずか5年の活躍でした。



こちらは、現在もわずかに残る兼六園下発内灘駅行きで使われているものです。
ただ、なにもこの幕でなくともよいわけで、
先述の「香林坊・金沢駅西口」経由の幕を掲げていることもあります。



かつて存在していた、粟ヶ崎→内灘駅の時に使われていた幕です。



横幕も一応しっかりと作られていました。



こんな幕もあります。これ1枚でほとんど全て片付くと思うのですが。。。



で、ご丁寧にも東部営でも幕を作っていました。



今度はこのような幕も出てきました。
最近作られたような気がします。
「上諸江」のみの表記では77系統と区別がつかないような。。。



かつては「北安江」が入っていました。
これは、70系統が金沢駅西口経由になったときに
新製されたもので、対になるものが74系統(当時)の
「七ツ屋」表記でした。
兼六園下、香林坊、金沢駅西口発の便で使われていたと思います。



昔の問屋団地行きの幕です。
経由地が「三浦」表記であることが意外ですが、
74系統と違うということを強調していたのでしょう。

情報ご提供:タイムトラベラーさん



ごく最近まで使われていた幕です。
90年代後半から使用されていたと思います。



金沢駅行きの幕はかなりシンプルなものだったそうです。

情報ご提供:タイムトラベラーさん



さきほどの幕の逆バージョンです。



97年ごろからは、こういったやたらシンプルな幕が登場しました。
70・71・73・75系統いずれでも使用できそうですね。
西部営では、ほかに金石系統もこのような幕で「香林坊」「兼六園下」
などを使用していました。それでも、色はそれぞれに付いていましたが、
東部ではそれすらなく、白黒幕としたため10番台、20番台、90番台
いずれにも使用できるという横着な(?)事をしていました。



香林坊行きは存在していなかったようですが、
幕は存在していたようです。これは、
香林坊発の問屋団地・粟ヶ崎行きがあったため、
その対になるものとして作ってしまったのではないでしょうか。

情報ご提供:タイムトラベラーさん



おそらく現在でも見ることができます。
が、幕での運行がかなり少なくなってきています。



現在も使われているのでしょうか。。。?
おそらく東部担当便で使われていたものと思われます。



98年3月までは使用されていた幕です。
ローマ字が入った幕はわずか3年ほどしか見ることができませんでした。



小型方向幕時代の話ですが、
社内報などでも確認できましたので、作成してみました。
「橋場町」としていないあたりが昔らしいですね。

もちろんのことですが、この幕は昭和56年3月で見納めとなっています。



橋場町中心の循環形式が終了してからはこの幕が使われていました。