
61大野線 63大野港線
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金石の狭隘区間が有名な大野線です。
幕は一時代むかしのもので、現在では朝に見られるのみです。
大野線は昭和23(1948)年に香林坊〜大野港(現.大野)間で運行を開始しました。
その後泉車庫の完成によって起終点は泉車庫となり、30分間隔で運行されていました。
昭和43(1968)年11月に泉車庫廃止によって、
起終点を香林坊に変更し、本数も20分間隔に増便されました。
しかし、この体制もわずか1年で終わり、
翌44年12月には兼六園下が起終点に変更され、そのせいか46便から31便に減便されてしまいます。
お気づきかと思いますが、この数年間で大野線と金石線の起終点が交互に入れ替わっていることが分かります。
この時代がいかに試行錯誤の時代であったかが読み取れます。
さらに翌年には中橋〜金石間の6つの停留所がノンストップとなります。
減便したため、乗客をさばききれなくなったのか、あるいは
定時性確保のためでしょうか。
同年10月、いよいよ鉄道金石線の廃止代替の詳細案が提示され、
準急を39往復に増便されるも香林坊終点から武蔵ヶ辻終点に
路線が短縮されることも示されたため、金沢市が反対し、
この後半年にわたって協議がなされていきます。
▲終点の大野の風景は昔とほとんど変わっていないそうです。
そして、翌46年3月にまとまった案では、
●寺中町、三善製紙前、無量寺のバス停新設、
●軌道撤去後に武蔵ヶ辻〜金石〜松原町〜桂町〜無量寺〜大野町
(現在の63系統に相当)25往復を新設、うち3往復は金沢駅経由、
●幹線道路完成後は金石地区循環線を新設、
となります。
ところが、今も昔も同じで(?)、実際に同年9月1日改正では
準急大野線は68本(34往復)から70本に微増にとどまり、
また「普通大野線」(のちの63系統)が41本新設され、
大野口(現.大野港か)〜金石北口〜曙町〜金石駅前〜香林坊
(うち7本は金沢駅経由、5本の金沢駅〜金石を含む)
となり、香林坊起終点に改善されましたが本数は当初より減っています。
新設バス停は、大野口,桂町,金石北口,寺中で、当初の予定と名称は異なっています。
ちなみに、金石地区循環線はいつまでたっても実現しないままですが、
これは今なお「幹線道路が未完成」だからなのでしょうか。。。
また、この時金石線と大野線がワンマン化されています。
ただし、狭隘区間の金石〜大野港(現.大野)は引き続き添乗員を同乗させています。
また、おそらくこの頃より兼六園下から香林坊発着に変更になっています。
結局兼六園下発着時代は長続きしなかったようです。
昭和49(1974)年に大野港が名称変更され、現在の「大野」となります。
この年あたりから大野線も目立った動きはなくなり、
1990年初頭まで車両もほとんど変化することなく過ごすこととなります。
平成10年には兼六園下への延長がなされ、かなりの好評でしたが、
翌年には34系統と結合します。現在も朝夕に兼六園下発着便は残っており、
画像の幕はその時に使用されています。
平成11(1999)年3月、61・63系統は34系統と結合し、
「三馬大野線」となりました。
この幕は、西部営の車両に入っています。
現在でも金中委託車に入っているとは思いますが、
現在ではほとんどの便がノンステ運用となっています。
こちらは南部担当便の車両の幕です。
ですが、加賀白山バスに現在は委託されていますので、
実質的にこの路線は本体担当ではないといえます。
三馬大野線は長らく90年式日野車もしくは南部便はふそう車での運用
でしたが、06年2月に平和町線を追放(?)されたHR03年式(626〜629)
が入り、旧来の日野車は消滅しました。
また、06年11月には南部営に日産新車導入(691〜693)に伴い、
同様に南部を追放(?)された04年式の日産車(641・642)が投入され、西部営にも
日野大型車が導入され06年2月に導入された新車(650・651)が早速追放され、
現在ではほぼノンステの運用となっています。
06年2月にLED幕が変更されました。
この幕の表記は昔とは特に何も変化してないと思いますが、
34系統では「二万堂」が反転色になっています。
「香林坊」が書かれていませんが、
まぁなくても分かるだろう、ということなのでしょう(^^;)
ローマ字併記もなかった時代はシンプルな表記でした。
さらにその昔小型幕の時代は「61 大 野 」という、
究極にシンプルな幕だったといいます。
快速便のほうは西部営金中委託の担当です。
ちなみにこの画像の259号車は普段は金附ダイレクトに使用されていますが、
学期休み中だったため、珍しい運用が見られました。
2通り存在する小立野ダイレクトのうち、普通便のほうは60番です。
ですが、なぜかこの便は「三馬大野線」の扱いで
金中委託となっています。
LEDでは、「大学病院」の表記がありません。
金石始発ですが、こちらは金中委託が担当しています。
大野港線と呼ばれる63系統は、
昭和46(1971)年9月に鉄道金石線が廃止されたことに伴い、
大野港(現.大野)終点だった大野線を延長して大野口(現.大野港?)
まで走らせた時に誕生しました。(社内報「ほくてつ」より。)
…とのことだったのですが、
当時の新聞記事によると(先述の大野線の箇所参照)、このとき既に
桂町、金石北口のバス停が新設されていることから、おそらく
社内報のほうが間違っているのでしょう。
(社内報のこの記事は98年に書かれたものであることも信憑性に欠けます。。。)
昭和49(1974)年11月、大野口を廃止して系統変更・延長し、
大野港を終点とする大野港線が誕生しました。(社内報より。)
この記述から、大野口と現在の大野港が別の位置だったのではないか、
ということも考えられますが…
また、この時に既設の「大野港」は現在の「大野」に変更されています。
昭和50(1975)年に路線番号が与えられていますが、この時は大野線
と同じ61番でした。このことからも、ほぼこの2路線は同じものと扱われて
いたのではないかと思われます。
昭和59(1984)年に現在の63番に変更になっています。
平成10(1998)年には、61系統と同じく兼六園下延長を果たします。
幕はその時のもので、現在でもたまに朝夕に見ることができます。
平成11(1999)年3月に、大野線同様34系統と結合し、
三馬大野線として新たなスタートを切りました。
幕は南部営のもので、「久安」のみの表記です。
あまりにもシンプルすぎでは。。。?とも思いますが。
やはり現在ではノンステ運用がほとんどですので、
幕を見ることはかなり難しいと思われますが、
南部営の予備車は427、447などが最近は出てきていますので、
遭遇率は少し高まっています。
が、その南部の427などは下の画像の幕が入っていますので、
この「久安」のみの表記の幕はやはり激レアものです。
こちらの幕のほうが製造枚数が多いと思われます。
現在でも予備車運用の際に見かけることができます。
なぜか「久安」を消した幕もありました。
おそらく兼六園下始発便用かと思いますが、
それなら先ほどの「63中橋/桂町 大野港」を出せばいいのに。。。
と思います。
幕は切り貼りがしょっちゅう行われているため、
同じ営業所のものでもかなり異なっており、
昔ならともかく現在は順番などもまちまちになっています。
かなり昔はこのような幕でした。
平成になると、ローマ字なしで「63中橋/桂町 大野港」幕が
使われていましたから、それ以前のものだと考えられます。
また、さらに昔は「63 大 野 港 」というものだったといいます。
平成8(1996)年5月、63系統はからくり記念館へ乗り入れを果たします。
運行当初はまずまずの数のお客さんが乗っていましたが、
現在ではこの終点まで乗る人はかなり少なくなっています。
大野港〜からくり記念館は海と併走しますので、夕景がとても美しい区間でもあります。
LED幕の表記は幕とはまた異なっています。
大野港の表記がないのが特徴です。
こちらはやはり140などの南部車に入っていた幕で、
「久安」のみの表記です。
こちらは兼六園下始発の幕です。
土日にこの便はありますが、
ほとんどの日がノンステ運用となっています。
こちらは平成8年当初の幕です。
経由地が金石と書かれている点が現在とは異なっています。