60金石線




 かつての金石線の幕です。現在は幕はおろか市街地発便も少ないため、見る機会はほとんどありません。
香林坊・兼六園下発の便は経由地表記は「中橋」のみでした。

 金石線は昭和23(1948)年に香林坊〜金石駅間で運行を開始しました。
当時は鉄道の金石線があったため、本数は少なかったようです。

その後、路線は兼六園下経由で錦町まで延長されています。

昭和42(1967)年の市電廃止に際して錦町〜香林坊を打ち切り、本数は、
兼六園下〜金石駅 52往復
金沢駅〜〜金石駅  3往復
と、金石まで20分間隔に増えています。この頃から既に鉄道の廃止も取りざたされており、
以降本数は増加し続けます。なお、兼六園下発着とありますが、実際は泉車庫発着だったと思われます。
 翌昭和43年の泉車庫廃止によって、金石〜泉車庫はこれまで20分間隔だったのを、
発着点を兼六園下とし、10分間隔に増便されました。

さらに昭和44(1970)年12月には、15分間隔に増え、発着が香林坊に変更されます。
(増発というよりは距離短縮によって運行間隔を狭めたようにも思えますが。。。)
 翌45(71)年、本数は63便に増加し、車両も86人乗りの大型ワンマンバス化しました。
そして、そのさらに翌年には鉄道金石線が廃止され、同地域の輸送はバスに委ねられることとなりました。

 それ以降、20年以上さして本数も変わらずに金石線は幹線として活躍してきました。
平成3(1991)年5月に金沢駅西口バスターミナル供用開始にあわせて、
金石B線(金沢駅西口〜中央病院口〜金石)が運行を開始します。現在では西口始発はなく、
四十万方面からのシティーライナー便があるのみですが、それでも系統自体は存続しています。



 平成10(1998)年の大改編で金石線は四十万線と連結し、名称も四十万金石線として
新たなスタートを切りました。幕は上の「香林坊 中橋」経由は南部営担当便、
下の「寺地 香林坊」が西部営担当便です。お互いがお互いのエリアに配慮したのでしょうか(^^)
その後、平成15年1月からはシティーライナーの運行開始に際して、金石B系統は県庁前乗り入れを開始しました。
そして平成16(2004)年4月から担当はほくてつ北部(柳橋)営の担当となり、
何十年も続いた西部営の手を離れます。現在でも柳橋が担当ですが、金石線を持つようになってから新車が入るようになりました。
これが何を意味しているのかは知りませんが。。。

また、平成19(2007)年4月よりほくてつバス南部担当便も誕生しました。
そのほか、柳橋担当便のうち、金石駐在車ができ25−106号車が常駐しています。
これで落ち着くかと思われた矢先、08年4月より再び西部へと再移管されました。
ですので、60番の幕を見ることは容易となりました。



 西部・ほくてつ北部担当便の幕です。
西部の車両・幕がそっくりそのまま柳橋へと渡ったので、幕は同じです。

そして、08年4月より再び西部担当となったため、
この幕も復活しています。

画像ご提供:若原さん。



 上の幕から「寺地」を消して使用していた幕です。
兼六園下始発の金石行きに使われていました。
ちなみにこの幕は西部営の車両に入っていました。



 通称金石B線とよばれる金沢駅西口〜駅西合庁前〜畝田〜金石の系統です。
平成3(1991)年5月に金沢駅西口ターミナル開設に伴い開設されました。
現在ではシティーライナー便を除くと平日朝の金石発の1本のみとなっており、
この幕は使われることはありません。担当は西部営でしたが、
現在ではどうなっているのか分かりません。
可能性としては柳橋・西部・金中がありますが。。。



 同じ金石B線の幕ですが、こちらは平成15(2003)年に県庁移転に伴い新調されたものです。
現在ではこの幕を使うはずの便そのものがありませんが、
平成17(2005)年9月改正で消滅するまでは使われていました。



 平成15(2003)年1月に県庁が移転した際に新設された系統です。
四十万金石線の派生系統のようですが、金石B線と言ってもいいのではないでしょうか。
開設当初の経路は、南四十万→香林坊→金沢駅東口→金沢駅西口→県庁前→金石 でした。
そのときの幕が上にある幕ですが、この経路では所要時間を大幅にロスするため、
同年3月にはほかのシティーライナー各線とともに金沢駅は西口のみの停車となりました。



 こちらの幕はその改正後の幕です。
この幕はほくてつバス(柳橋)担当になってからのものです。



この幕は西部営・南部営に入っている幕です。
一時期見ることが難しくなっていましたが、
現在では見ることは容易になりました。


ふたつ上の画像と同じほくてつバスの376号車です。
06年4月にLED改造され、
表記が西部・南部のものに合わせたものになりました。
現在では見ることはできませんが。。。



1980年頃の金石線です。
私にはあまりなじみのない日野REが走っています。
場所はおそらく中央市場口付近と思われます。

画像ご提供:タイムトラベラーさん。




 金石B線開設当初の金沢駅西口行きです。
よくよく考えてみれば「中央病院口」バス停は現存してないのですね(^^;)
わずか10年でここまで変化するものなのですね〜



 こちらは現在の幕です。平成15(2003)年に新調されています。



 長らく香林坊発着だった金石方面の路線でしたが、
平成10(1998)年3月に兼六園下まで延長されました。
その際に登場した幕です。60・61・63・65系統兼用となっていました。



03年にほくてつバス担当となってからは、番号も書かれた幕が
新調されました。そして、08年に再び西部担当に戻った時には
同じ幕が使用されるようになり、現在も見ることができます。



 こちらは昔から63系統で朝に数本設定されていた「金沢駅経由」系統です。
この系統も98年に兼六園下まで延長されています。
昔から番号も変わらず残る都ホテル前の金沢駅13番のりばに停車する便として
渋い活躍を続けています。
06年にLED幕が新調され、「金沢駅」が反転色となり、誤乗を防いでいます。



西部営担当のころの快速香林坊行きです。60・61・63系統兼用の幕でした。
この金石の快速便ですが、昭和末期までは存在していましたが、いったん廃止され、
平成7(1995)年10月に試験的に復活します。

かつての快速は、金石・西警察署・畝田・武蔵が辻・香林坊の停車でしたが、
この実験では畝田〜中橋間をノンストップとしました。
車両は空港車両や南部営のワンロマ928
が使われました。この実験が好評だったため、
翌96年1月より本格実施となり、現在に至ります。



 平成16(2004)年に60系統が柳橋の担当になると、幕も変化しました。
金石方面系統では60系統しか走らせていないため、幕にも番号がつくようになりました。



 同様に、98年から快速も兼六園下まで走る便もでき、西部担当のころはこの幕でした。
現在も、もし61・63系統で兼六園下行き快速があればこの幕が見れるかもしれません。



 柳橋担当になり、やはりこちらにも番号が与えられました。
そしてやはり現在では見ることはできません。



ピカピカの387の画像です。 まだローマ字併記になる前のものです。
数年後には幕の合理化か無番号で「香林坊」「兼六園下」とだけ書かれた幕だらけになりますので、
こうして番号入りで表示している幕がかなり懐かしいです(^^)

上下画像ともに助ける役 さんよりいただきました。
ありがとうございます。



こちらは90年代初頭の60系統です。
当時は既にRTも入っていましたが、モノコック車も現役でした。



 こちらもさきほどの幕のように、幕の合理化によって誕生しました。
ほとんどの便は兼六園下まで走っていましたが、ラッシュ時を中心に香林坊止まりの
便も残っており、そのために用意された幕のようです。



平成9(1997)年(2月改正か4月改正かは不明)より、
朝の1便のみ錦町へと延伸されました。
当初は、オレンジ色の幕で運行されていました(60番の番号入り)
が、翌98年からの幕の再編によって緑色の幕となりました。



03年4月より、ほくてつバス担当となり
06年夏からは幕での運行がなくなりました。
LED幕はこのようなものでした。



08年4月より、この錦町行き快速が短縮され、如来寺行きとなりました。
今回はなぜか緑色幕ではなく、白地黒字となっています。また、経由地表記
も変更されています。