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今夜の番組チェック
43錦町野々市線(小立野線)
(※43系統の歴史については、15系統と密接に関係しており、
また、やや複雑な変遷を経ていますので後ほどUPする予定でおります。)
ローマ字併記の幕が主流になってもなお、かつての幕が使われ続けています。
この幕は野町駅を経由しない、従来からの43系統に使用されます。
なお、この系統でも、新製された幕も存在しており、
ローマ字併記のものもあります。
このように、ローマ字併記幕も見られます。
野町駅経由のものは、15系統と結合してから誕生したというのが
定説ですが、それ以前にも90年ごろに一日一便ほど小立野発で
野町駅を経由して野々市へ至る便があったといいます。
おそらく、このローマ字併記なしの「野町駅」経由野々市行きの
幕はこのときに作られ、その後10年以上たって再び使われることに
なったものと考えられます。
「野町駅」のみの経由地表記の幕も存在しています。
こちらのほうがよく見かけることができ、製造された時期も
15−43系統が結合して「錦町野々市線」になってからだと
思われます。
LED幕は、「野町駅/有松」表記で、さきほどの187号車の幕の
ローマ字併記バージョンとなっています。
このように、多種多様な幕が見られるのが43系統の特徴なのですが、
あまりにも種類が豊富なため、私もすべてを把握しきれていないのが
現状です。
こちらの幕は、富光寺発野々市行きに使われていたものと思われます。
43系統なのですから、番号があってもおかしくはないのですが(71系統のように)、
同様に野々市発富光寺行きも番号なしの幕となっています。
そもそも現在は野々市〜富光寺の区間便は存在しないのですが、
まだこの路線を北陸鉄道野々市営が担当していたころは存在していました。
こちらの幕も、いまだにローマ字なしのものが多く使われています。
小立野方向から野町駅を経由せずに、本太平寺から西上林を経て富光寺に
至る便に使われております。
要は、もっとも基本的な富光寺行きの幕なのですが、
最近は野町駅経由や末松経由などもあり、またそもそもの富光寺行きの
減便もあって、あまり見ることはできなくなりました。
経由地表記が独特な幕です。
さきほどとは対象的に、野町駅・明倫高校・末松経由と、
いろいろと寄り道をする系統なため、どうしてもこの表記にせざるを
得なかったのでしょう。
明倫高校乗り入れはわりと早い時期から実施されていますので、
ローマ字なしの幕もあり、この幕もまだ現役で使用している車両もあります。
こちらは野町駅・末松経由の便で、明倫高校は経由しないので、
2段上の幕とは別々になっています。
もともと本数が少ない系統なのに、1便ごとに経路が微妙に異なっており、
幕の種類もほんとうに多いですね。。。
さきほどとは逆に、こちらは野町駅・明倫高校経由ですが、末松は経由しない
便に使われる幕です。
こちらは野町駅を経由しますが、あとは基本ルートをたどる便に使われます。
富光寺系統は、野町駅経由便は全てローマ字併記になっています。
先述の、野々市発富光寺行きの幕です。
ごくまれに金沢市内でも見ることがありましたが、これは運転手さんの
間違いだったのでしょうね(番号がないだけで、経路的にもいっさい間違ってはないのですが。。。)
野々市・富光寺から野町駅を経由せずに小立野へ至る、
もっとも基本的な43系統の上り便の幕です。
ローマ字なしの幕がハイグレード車に入っているのもすごいですが、
横幕の表記も旧来のものが残っていて大変貴重です。この仕様はおそらく
241・242号車の2台にしか残っていないと思われます。
で、やはりローマ字併記の幕も存在しています。
上空(国立病院より)からも撮影してみました。こちらも
ローマ字併記です。
ローマ字なしの幕ですが、こちらも90年ごろに存在した
野町駅経由の小立野行きです。記憶では、朝に野々市から1本あった
ように思います。
明倫高校からの便もあり、こちらもわりと早い時期から運行されていました。
89年ごろまで1本ほどでしたが、兼六園下行きが存在していました。
もう20年近く使われていませんが、車両によっては今も幕を装備しています。
香林坊行きも存在していたようです。
こちらも現在でも一部の車両に幕が入っていると思われます。
急行便自体が珍しくなってきたこの頃ですが、43系統は現在でも
片道1本走らせています。
特定の客層向けの便で、野々市中央や有松なども通過していくのが
特徴です。かつて、大和が片町にあったころは片町が終点でした。
有松は止まらないはずですが。。。汗
おそらく使われていない幕かと思われます。