
33四十万金石線
 |
|
33系統は現在はほとんどの便が金石線と連結して
「四十万金石線」として、また金沢駅と工大を結ぶ
「金沢駅工大線」として運行しております。
(金沢駅工大線は
32系統をご覧ください。)
現在は本来の四十万行きは少なくなっていますが、
こうして幕での運用も見ることが出来ます。
 |
|
33四十万線は現在も幹線路線ですが、誕生は意外とおそく
昭和58(1983)年11月です。これは有松・四十万線の
道路が完成したことに伴うもので、当時人口が急増し額住宅線や
三馬線の混雑がかなりひどいものとなっていることへの救済
でもありました。このため、開業当初から本数は約30分に
1本となっていました。担当は野々市営業所でした。
また、四十万線の沿線の全てのバス停に上屋が設置されたことも
特筆されます。当時は金沢市内のバス停にに順次上屋を設置する
工事をしている最中で、沿線すべてが上屋つきバス停というのは
かなり珍しいものでした。
以降、順調に増便を重ね、90年ごろまでには20分間隔での
運行となっています。本数は多いのですが、当時はまだ派生系統が
全く存在せず、朝に香林坊止まりが数本あるほかは全て
四十万〜兼六園下での運行でした。
 |
|
平成5(1993)年2月、既に乗り入れを果たしていた30系統
に続き、33系統にも鶴寿園行きが誕生しました。
本数は2往復で、これは現在でもほとんど変わっていません。
横幕です。現在は武蔵ヶ辻発着ですが、当初は兼六園下発着でした。
 |
|
平成8(1996)年3月、野々市営業所と加賀営業所が
統合されて南部営業所が開設されました。これにあわせて、
四十万線が南部車庫まで路線を延長しています。
当初の幕は「四十万・南部」というやや不思議なもの
でした。「四十万・南部(営)」なら分かるのですが…
これは四十万線が金石線と連結する98年ごろまで見る
ことができました。
▲画像:助ける役 さんご提供。
南部営開設のころはまだ、かろうじてモノコック車両が
金沢市内にも残っており、ごくわずかな期間でしたが
日野RCや初期RTが運用に就くこともありました。
これまでは野々市が担当しており、ふそう一色だったのですが、
寺井線や快速小松線(いずれも加賀営が担当=日野車)の入出庫
に33系統を走るようになったため、98年3月までは
こうした光景も見ることができたそうです。
▲画像:助ける役 さんご提供。
98年3月の大改正で、四十万線は金石線と連結し、
「四十万金石線」となります。この時、方向幕も新たに
作られ、これまでの「南部」から「南部車庫」表記に
なっています。
が、この幕の活躍期間はわずかで、
すぐに現行のものに変更されています。
 |
|
四十万金石線の誕生により、
西部営業所も担当するようになりましたが、この
幕は南部のものです。
これにより、開業以来の兼六園下発着便は朝夕の一部
を除き消滅しています。
四十万金石線は、04年4月にほくてつバス(柳橋)
が西部営に変わり担当するようになりますが、
そのさい幕と車両は西部で使用していたものを
そのまま使用していました。しかし、06年から
始まったLED化で現在は南部営担当の便でしか幕を
見ることは出来なくなりました。
なお、07年4月よりほくてつバス南部支所も
一部便で四十万金石線を担当するようになりましたが、
こちらもLED幕での運行となっています。
|  |
▲西部の車両にも、南部の車両と同じ幕が
▲短期間でしたが、兼六園下〜南部車庫もありました。
入っているものもありました。
(画像:CHさんご提供。)
 |
|
西部営業所の幕は、微妙に南部のものと異なっていました。
この幕はほくてつバス担当後も使用されていましたが、
現在では見ることはできません。
 |
|
08年4月改正より、ほくてつバス(柳橋)から再度西部に担当が
戻り、その際にかつての幕ではなく新調された幕が使用される
ようになりました。
従来からの「四十万」の表記が消え、LEDに合わせた格好
となっています。
また、この時に425と455が南部から西部へと移籍し、
これらの車両もご丁寧に幕を新調しています。
|
平成11(1999)年3月改正で、山島台へ一部の
便が乗り入れています。
四十万線では、必ず「四十万」を大きく表示する
のが通例になっており、この幕もまた然りです。
 |
|
同じく99年には、工大ハイテクセンターへの
乗り入れを開始しております。
画像:若原さんご提供。
 |
|
2000年3月改正で、今度は南四十万へと
延伸を果たしています。ほぼ毎時1本の運転となっており、
かわりにこれまでの四十万止まりの便が少し減便されました。
さすがに今回ばかりは「四十万・南四十万」という幕には
ならなかったようですね。。。
 |
|
工大前までの便も00年ごろには存在していました。
中には、金石発ではなく畝田住宅始発というものも
朝に一本走っており、この便にもこの幕が使用されていました。
画像:助ける役 さんご提供。
|
平成6(1994)年に誕生した、香林坊8:10発の
錦丘高校行きにはこの幕が使用されていました。
通学にはやや遅い時間の運行だったため、利用者のい多寡
は定かではありませんでしたが、98年改正のころには
消滅しています。
その錦丘高校行きの便が、平成18(2006)年4月に
復活し、今度はほくてつバス(柳橋)が担当し武蔵ヶ辻が
始発でした。
方向幕は作成されず、すべてLED幕車両での運用で、
さらに当初はそのLEDにも設定がなく、
「Hokutetsu」という表示にプラ板で対応していました。
なお、99年ごろから00年にかけて16:00錦丘高校発
金石行きが存在していました。こちらは、野々市駐在の南部の
車両が担当していたそうです。
06年の夏までにはLEDも用意され、
このようなややズレた幕で運行されていました。
が、07年4月改正であえなく消滅しています。
この便は05年に実施した利用者のアンケートを
もとに要望に応えるかたちで誕生したはずだったのですが…
画像:若原さんご提供。
「四十万線」だったころは市内方向はもっぱら兼六園下行き
でした。香林坊は日銀前に停車し、尾山交差点を右折し
合同庁舎前、丸の内に停車して終点の兼六園下へと至っていました。
広小路方向から兼六園下へと向かう路線は
香林坊交差点を右折するのが今も昔も変わっていませんが、
当時は片町を通過していました。このため、片町にも停車する
ことを利用者にはっきりと示すため、幕にも「片町」が
しっかりと書き込まれています。
誕生当初はまだワイド方向幕の登場前だったこともあり、
経由地表記は「片町」のみでした。
香林坊止まりの幕には片町は書かれていません。
平成6(1994)年2月、これまでは兼六園下行きのみ
だった四十万線に一部武蔵ヶ辻行きが誕生しました。
これは、利用者の要望に応えたかたちです。
おおよそ毎時1本が武蔵行きに振り替えられ、以降
兼六園下行きが減り武蔵ヶ辻行きが増えていきました。
平成9(1997)年2月、33系統初のダイレクト便が誕生しました。
大学病院まで延伸されたことによって、路線図が賑やかになった
のがなんだか嬉しかったものです。(当時はダイレクト便も全て路線図
に記載されていました。)
小立野ダイレクトにはほかにも31,50,61,63系統でも
誕生していますが、小立野を大きく書くか小さく書くかは路線に
よって異なっていました。
トップへ戻る