20平和町線


現在の平和町線の幕です。
平成13(2001)年3月改正で、平和町線の担当が柳橋営から
西部営へと変わった時に新調されたものです。

平和町行きの幕は現在はこの1種類のみです。
終点は「平和町」であり「市立病院前」でもあるのですが、
「平和町市立病院」という名称ではないので、
(平和町市の市立病院という意味になってしまいますし)
かつての幕のほうがよかったと私は思うのですが…

なんにせよ、北鉄一のドル箱路線であることは
今も昔も変わりません。それなのにLED幕改造されてない
バスが今も多く走り、本町・六枚町経由を今なお守り続けて
いることが面白いですね。

▲出番の少ないCNGバスは平和町線専属です。

また、常に新車が投入される路線としても有名です。
2000年以降はとくに顕著で、北陸鉄道の新車は
まず平和町線で使用されて、翌年につぎの新車が入ってくると
分社に移籍、というのが定番です。



昭和18(1943)年に平和町線の前身、野田線が誕生しております。
金沢駅〜香林坊〜平和町という系統の初見は昭和42(1967)年2月、
市電廃止に伴う改正です。ただ、このとき既に「バス停の中心である
平和町のほうが寺町1丁目よりも活況を呈している」との記事が
新聞にありますので、これ以前から金沢駅〜平和町という系統は
あったものと考えられます。

このときはまだ「野田線」の一部としてしか扱われておりません。
ただ、資料によっては、市電代替系統として金沢駅〜平和町の系統
ができた際に「平和町線」という名称が与えられたとするものも
あり、定かではありません。

昭和42年2月改正では、
金沢駅前〜香林坊〜野田 :61往復
兼六園下〜香林坊〜野田 :2往復
金沢駅前〜香林坊〜平和町:58往復(日中15分間隔)
金沢駅前〜(快速)〜平和町:13往復
金沢駅前〜香林坊〜寺町1:3往復
兼六園下〜香林坊〜平和町:1往復
合同庁舎前〜香林坊〜平和町:8往復

となっています。
翌昭和43(1968)年11月改正では、『平和町線』でワンマンバス
運行開始とあり、このときまでに平和町線という名称が与えられたのは
確実です。またこのときラッシュ時5分間隔、日中10分間隔に
増便されています。反対に野田線は20分間隔となり、さらに香林坊
発着となっており、2路線の立場が逆転しています。
おそらく、この頃平和町線は柳橋営、野田線は東部営、と分けられた
のではないでしょうか。



▲常に新車が投入されるのは今も昔も同じです。

さらに昭和45(1970)年3月には、
平和町線が97往復から117.5往復に増便されています。
おそらくこのときが最も平和町線が輝いていた時代だったと
考えられます。いっぽう、いつのまにか三小牛まで延長されていた
野田線は32往復から47往復に増便されラッシュ時10分間隔、
さらに金沢駅発着に返り咲きました。これは平和町ならびに
新興住宅地つつじヶ丘の人口増によるものと思われます。

昭和50(1975)年には現在にも続く「20番」が与えられ、
オレンジ幕になりました。余談ですが、20余年のちに沿線の
二水高校のスクールカラーがオレンジ色に制定されたのはバスの
幕の色のイメージも少なからず影響しているのでは、と勝手に
考えております(^^;)。

幕は昭和59(1984)年11月に「新バスシステム」が
初めて平和町線で導入されたときに目玉として導入された
エアロスターに入っていたものです。初の大型方向幕でした。



平成元(1989)年6月、平和町・市立病院前発着となりました。
これまでは平和町のどこかに転回場があり、とても手狭だったため
誘導員を置いていました。このためか、過去に平和町線の転回を
団地内一周で行おうという案がありましたが、団地内住民の
「団地の中をバスが走るのは危ない」という声により消えています。

このため、平和町内の転回場を使用していたということですが、
これ以前は野田まで回送して転回していたそうですから、
なんとも無駄な話ですね。。。この野田の転回場跡(?)はなんとなく
現在も交差点に残っているように思います。上りバス停の位置も
やや不自然な位置にありますし。。。

市立病院乗り入れで幕も新調されております。
(画像:助ける役 さんご提供)



ローマ字併記になってからは2種類がいずれも柳橋営で使用されて
いました。この幕は83系統と同じ表記方法ですね。



ノンステップバスにはこの幕が使われていました。
バスジャパン「北陸鉄道」の表紙にはこの幕が写っています。



横幕。。。「本町」の表記が入っていない、少し昔のものです。



通勤快速の横幕です。
前幕は画像もありませんし、記憶も曖昧です。
どなたか覚えていらっしゃる方はおいでませんでしょうか…



切り継ぎした跡が残ってしまいましたが。。。

現在の金附行きの幕は東部、西部ともにこの1種類のみ
となっております。



柳橋営時代の幕です。
金大附属学校移転に伴い、平成7(1995)9月に路線
延長されています。バス停名称は「金大附属学校前」に
したかったそうですが、沿線住民は「自衛隊前」の名称
に愛着を感じており、断固反対とのことで現在の名称に
落ち着いた(?)のだとか。



平成13(2001)年3月、ほくてつバス誕生に伴う
担当営業所変更で、長らく担当してきた柳橋営の手を
離れ、現在の西部営担当となりました。このときに幕が
新調され、利用者の意見を受け入れて「六枚町」経由で
あることをきちんと表記したものとなりました。

かつてはほとんど全ての路線が六枚町経由だったのですが、
これも時代の流れでしょうか。

この年以降、西部のほかにも東部営が20系統に
参入してくるようになりました。これは21系統との
兼ね合いであると思われます。平成16(2004)年改正で
東部担当の20系統が増加し、画像のように現在も見ることができます。



柳橋営時代の金沢駅行きの幕です。



▲下校時の平和町バス停。すぐに満員になります。



20系統の幕のあいだにこのような幕も入っていました。
これが快速用の幕だったのでしょうか。
香林坊の下には全く見当違いなバス停名が入っていたという
話を聞いたことがありますが、謎のままです。



平成12(2000)年3月に、モーニングダイレクト便として
金大附属学校〜広小路〜新神田〜金沢駅西口〜中央病院
という系統が誕生しました。当初から夕方の便も用意され、
香林坊を通らないという異彩の系統です。

いちおう20系統ということらしいのでここで扱っておりますが、
中央病院行きは64番、金附行きは無番号となっています。



登場当初から県庁移転の平成15(2003)年1月まで
この幕が使われていました。なお、この頃は路線図にはこの
系統は描かれていませんでした。

画像のように、現在は全LED幕では再び64番を掲げています。

(画像:若原さんご提供)



経路が経路だけに、平成15(2003)年1月の県庁移転に
伴い、幕も黄緑色のものに新調され、「県庁前」強調のもの
となっています。

通学、通院路線が一気に県庁通勤路線に早がわりしたという
なかなか見られない変遷の持ち主です。