平成12(2000)年3月ダイヤ改正



《概要》
路線の連結も一段落し、97年からはじまった
合理化、系統再編もいちおうの完成をみます。
しかし一方ではこの年から金沢地区での分社化
の兆しが現れており、また新たな合理化のはじ
まりの年でもありました。         



1.路線の延伸

路線の延伸ではそれほど目立った動きはありませんが、
津幡線の一部便が円光寺まで延伸されています。
これも合理化の一環であろうと思われ、柳橋〜円光寺の
便が本津幡〜円光寺の本数ぶんだけ減便されています。
このため、津幡町で青色の幕が日常的に見られるようになり、
当時はかなり新鮮なものでした。

しかし、本津幡から円光寺という約15キロも国道の、それも渋滞の激しい
国道159号線を走ることもあり定時性に難がありました。とくに週末の
遅れは目に余るものでした…しかも、40分遅れてきた円光寺発本津幡行きが
この年柳橋に大量配置された西工プチだったりして積み残しを発生させるという、
あまりにも酷い「改正」でした。


▲もちろん幕も新調されています。

また、33系統のうち約毎時1本が南四十万2丁目まで延伸
されました。これでますます33系統が複雑になったのは
言うまでもありませんが、南四十万住民はこれまで鉄道利用
がメインだったといいますから、乗り換えの苦労がなくなり
便利になりました。



2.経路変更路線

前年開業した81柳橋寺町線が、本格的なラケット循環路線になりました。
これにより、泉野出町2丁目はわずか1年で消滅しましたが、かわりに
長坂台,泉野出町1丁目(新設)を経由するようになりました。
これは、これまで市立病院線しかなかった長坂台住民から歓迎され、
2000年のうちに新たに伏見新町にも停車するようになりました。
81系統の中でも今なおこのあたりの停留所は安定した利用があります。

この改正でいちおうの終点は泉野出町1丁目となりましたが、
幕も放送も「泉野出町」行きのまま現在に至ります。総合体育館以前の
停留所から乗車した場合はここで整理券番号が消滅するので、出町1丁目
より先の乗車はできない仕組みとなっており、安原線と似ています。


▲改正で、長坂台地区が非常に便利になりました。

また、上荒屋線では、鳴和台発着系統は既に彦三経由となっていま
したが、鳴和発着系統は従来どおり橋場町、兼六園下経由を維持
してきました。しかし、分かりにくいことに加え鳴和方面住民の
武蔵ヶ辻への需要がかなり高いこともあり、兼六園下発着系統以外
は全て武蔵ヶ辻、彦三経由に変更されました。



3.モーニングダイレクト拡大

▼大野発有松廻りの金大附属校行きが新設されました。

前年に引き続き、「モーニングダイレクト」系統の拡大がなされました。
今回は、中央病院方面と金大附属学校方面の系統が新設されています。
《中央病院方面》
東部車庫→本多町→金沢駅西口→中央病院
田上住宅→鈴見台→金沢駅西口→中央病院
光 が 丘→ 有  松→ 金沢駅西口→中央病院
金大附校→ 入江1→金沢駅西口→中央病院


金大附属学校発の系統は、完全な新設系統で
これがのちにそのまま県庁ダイレクトとなっています。
残り3系統は既存の金沢駅行きの便の一部をそのまま振り替える形
となっていますが、金沢駅西口を経由しているので利用者には
それほど不便はないと思われます。

▼野々市駅発の系統は翌年なぜか44番がつけられました。


《金大附属学校方面》
みどり2丁目→ 増 泉  →金沢高校前→金大附属校
野 々 市 駅 →野々市車庫→ 有 松  →金大附属校
 大  野  → 香 林 坊 → 有 松  →金大附属校

金大附属学校行きの系統はこれまでにない経路を辿るもので、
かつての55系統(西泉平和町線)を髣髴とさせるルートとなっています。
どの系統も、有松→泉が丘→市総合体育館前(かつての泉野出町3丁目)→
→(泉野出町1丁目は通過、…というよりバス停が反対側にしかありません)
→二水高校前→平和町→金大附属学校自衛隊前
というもので、できるだけ多くの学校を通るようにした結果と思われます。

また、野々市駅発の系統は異色中の異色路線で、野々市駅をでると
46系統の経路で押野中央まで進み、進路を変えて45系統の
押野6丁目、本押野に停車して、次は野々市車庫に停車、それ以降は
43系統と同じ経路で有松まで走ります。当初はほかのダイレクト系統
と同様、無番号でしたが、翌01年より加賀白山バスが運行を担当する
ようになると、方向幕を新調し、なぜか44番が与えられました。
(なお、07年より幕から再び44番が消されています。)

ちなみに、押野中央から伏見橋まではバスよりも徒歩のほうが速いという
西村京太郎の小説でも使えそうな(?)珍現象も起こっています。

▼当初の幕はこのようなものでした。


[その他]
●松任線の「Kパーク急行」の始発地を太平寺から稲荷に変更し、
これまで片町までノンストップだったものを泉1丁目と広小路にも
停車になっています。
●41系統の特急と寺井発の特急も稲荷に新たに停車となっています。
●四十万線の急行、特急は新たに久安大橋と泉1丁目に停車
となっています。
●辰口線の特急は伏見台と寺地を停車バス停に加えています。



3.バス停の再編

バス停の再編も行われていますが、
これといって目新しいものはありません。
むしろ、「なんでこの系統だけ2箇所停車しないのか」という
路線がようやくそうなっただけのことです。
(おそらく発着本数の制限の関係と思われます)。

また同時に、
金沢港いきいき魚市、太陽が丘北大通り、
太陽が丘けやき通り、みずき4丁目

が新設されています。



4.路線の委託

▼突如、野々市地区が旧式車両の宝庫となってしまいました。。。

南部営業所の路線のうち、不採算路線がとうとう加賀白山バスに
委託されるようになりました。委託されたのは、おもに
旧野々市車庫に当時なお駐在していた路線たちで、
15−43系統、44系統、45・46系統、57系統(一便のみ南部担当)、
市立病院線、野々市南部車庫A・B線
です。委託なので車両表記も「北陸鉄道」でしたが、
あきらかに車両が南部担当路線とは格が違っていました。
このため、これまでハイグレード車での運行が多かった43系統などは
上の画像のような有様に転落してしまいました。。。

▼こちらも「手始めに」なのか内灘地区から委管されました。

平成9(1997)年に誕生し、内灘地区の路線を委託されていた
北鉄金沢中央バス(金中バス)に、内灘地区2路線が正式に移管されました。
これがとうとう金沢地区でも分社化が始まったか…と感じさせる
出来事だったのは言うまでもありません。
また、新たに62系統、71系統、86彦三免許センター線が
委託されています。なぜ田中医大病院線のほうのみ西部担当で残った
のかは不明です。。。



5.休廃止路線

●74問屋団地線(七ツ屋線)
98年改正で誕生しましたが、やはり極端に利用者が少なかったため
とうとうこの改正で消滅してしまいました。ほとんど出入庫系統だった
ので、廃止してもそう変わらなかったものと思われ、現に03年には
ほぼ同じ経路を走る77系統として復活しています。

●90卯辰山線(奥卯辰山系統)

▲柳橋の中型車が90年代半ばまではメインでした。
 画像:H−199さんご提供。


季節運行系統でしたが、卯辰山線全体の利用者が減っていることも
あり、また休日の過ごし方の多様化もあってとうとう消滅して
しまいました。