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今夜の番組チェック
平成9(1997)年2月ダイヤ改正
《概要》
にわかに路線図がにぎやかになり、子供心に嬉しかった
年でしたが、知らないところでは来年度からの合理化に
向けての試験段階に入っていました。路線図がにぎやか
になったのも、ダイレクト便の拡大によるものですが、
同時に伝統の旭町線が間引きされています。
1.路線・系統の新設
華々しい新設路線はそれほどありません。
目立つのは能登特急に新たに「宇出津真脇特急線」が誕生したこと
くらいです。これで、金沢市内と宇出津地区がバスで直結され、
ますます「のと鉄道」を追い込んでいくことになります。
金沢市内では、57黒田線の日中の一部便が武蔵ヶ辻から金沢駅発着に
変更されています。これはおそらく金沢駅と黒田地区の利便性を図った
ものなのでしょうが、そもそも黒田地区の住民は西金沢駅が近く、バス
は市街地へ出るための手段であったため、日中では90分以上も武蔵ヶ辻行き
が来ない時間帯ができるなど、不評でした。
▲新たな需要の掘り起こしを図ったのか、はたまた金沢駅〜富本町の救済なのか…
2.合理化と、周遊号の経路変更
▲富本町先回りは青幕、橋場町先回りは黄幕です。かつての循環線と似た経路です。
画像:助ける役さんご提供。
97年改正で目立つのは、周遊号の経路の変更です。
この改正で、日中の運行が無くなった91旭町線の代替としてこれまでの
香林坊経由から富本町経由に変更されています。また、そのためこれまでの
方回り運行から両回り運行となり、2台の周遊号が増備されました。
完全に路線バスと同じようになってしまったため、観光目的の利用者も
少なく、そこにはとてもかつての市内循環線の面影はありませんでした。。。
▲82系統は、約半数の便が金沢駅で系統が分断されました。
画像:助ける役さんご提供。
目立ったのは旭町線の昼間カットでしたが、このほかにも合理化が
行われました。
★10錦町A線でもやはり昼間便のカットが行われ、もはや廃止寸前という
状況まで追い込まれてしまっています。
★80循環寺町線では、柳橋〜武蔵ヶ辻〜有松〜寺町〜兼六園下〜柳橋
のうち、3本に1本が兼六園下までの運行となっています。利用者の
少ない兼六園下側で減便をした形になりますが、これで柳橋〜兼六園下は
40分も間隔が空く時間帯ができるなど、大きく不便になりました。
(今ではその40分間隔が当たり前ですが…)
★83石引線でも、昼間の半数の便が兼六園下〜小立野〜平和町に短縮されました。
この減便を、いちおう新設の金沢駅〜橋場町〜平和町で多少は補っているの
ですが、やはり不便になった感は否めません。
★82鳴和増泉線では、金沢駅で系統が分断されました。
これまでは、30分間隔で柳橋〜西金沢で運行していましたが、
この改正で運転間隔が30〜55分とまばらになったことに加えて
2本に1本が金沢駅でそれぞれ系統が分断され、鳴和〜三社といった利用者
にはたいへん不便な改正となりました。
これは、遅延が目立っていた同線の定時性確保のためとのことでしたが、
あまりにも評判が悪く、かえって乗客を減らす始末となっています。
結局99年には40分間隔で柳橋〜西金沢間の運行に戻されています。
これらのことからも分かるように、初期の合理化政策は大幅な減便と
系統の分断、一部経路のカットなど、「利用者が少ないから減らす」と
いった方式であることが分かります。
これらの反省を踏まえて、翌年の改正では
この年よりも本数が増えた路線が多く存在します。
3.路線・系統の延伸
純粋な(?)新規での延伸路線は31系統の下森島延伸です。
青幕が金沢市を飛び出し、鶴来地区まで行くのはなんとも不思議な
気分でした。また、富光寺住宅を通ることもポイントです。
11錦町B線が錦町とは全く関係の無い平和町への延伸を果たしています。
この系統の成立の背景には先述のような理由があったと考えられます
(きちんと大学病院を経由しますし)が、
これはかつて存在した川上線と全く同じ経路(正確には菊川1丁目を通ることが
異なる)を辿るため、11番と呼ぶのが正しいのかもよく分からない系統でした。
▲平和町行きの緑幕を見ることになるとは予想だにできませんでした。
この改正の目玉とも言えるのが、53西金沢線の旭町延伸です。
これは、旭町線の減便に伴う代替措置の一環なのですが、それ以前に
来年度から実施される連結系統の試行という大事な役目も持っていました。
初期の連結系統ですので、まだ「96」番の番号は与えられず、
黄色幕エリアである旭町行きも青色幕で「53兼六園下・旭町」と表記していました。
この試みが好評だったため、翌年からの本格実施につながってゆきます。
過度の減便が目立つ97年改正で成功した数少ない例の一つと思われます。
※(53西金沢線参照)
▲ふそう車が旭町へ乗り入れるのは異様でした。現在ではすっかり馴染んでいますね。
4.モーニングダイレクト路線の拡大
▲小立野の表記の仕方が路線によってバラバラで面白いです。
小立野大学病院への利便を図ったダイレクト便が新設されました。
新設されたのは、
下森島→泉野3丁目→香林坊→大学病院
四十万→寺地→有松→香林坊→大学病院
上荒屋西→新 神 田→香林坊→大学病院
金石→藤江→香林坊→大学病院
で、大学病院、国立病院の利用者や北陸学院の学生からも好評でした。
また、日中にも大学病院への利便性向上を図り、
毎時1本の11錦町行きと、新設の11平和町行きが大学病院経由となりました。
そのほか、
松任→有松→香林坊→錦町→金沢学院大学
松島→入江→香林坊→金沢駅西口→工業試験場
金石→→(快速)→→香林坊→錦町
が新設されています。
この年のダイレクト便の特徴はこれ以降の年とは異なり、
「54工業試験場」「60錦町」など、乗り入れ先の路線番号とは
異なり、始発地の番号を使用しており、これは「53旭町」にも
言えることです。系統番号をどうするのか、まだ結論が出ていなかったのでしょう。
▲54工業試験場。。。わずか1年しか見ることはできませんでした。
5.休廃止路線
《河合谷線》
兼六園下〜武蔵ヶ辻〜橋場町〜八幡〜本津幡〜池ヶ原〜河合谷
末期数年ははるばる兼六園下まで足を伸ばして頑張っていた路線でしたが、
この改正で津幡町営バスがこの路線を担当することとなり、北鉄は撤退しました。
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参考文献:ほくてつ各号 北鉄時刻表 北國新聞各号