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10錦町粟崎線


前身は錦町A線で、1967年2月に市電代替路線として誕生した路線です。
当初は金沢駅〜香林坊〜兼六園下〜錦町の運行でした。

本数は日中15分間隔でしたが、1977年12月改正では
「交通混雑を避けるため」に11系統を増便する代わりに
10系統は日中20分間隔とされ、さらに
「武蔵が辻〜金沢駅間は両系統が輻輳しているため」という理由で
10系統のほとんどの便はは武蔵が辻起終点とされてしまいました。

1981年3月には一部便が東部車庫・金沢女子短大(現.金沢東高校)へと延長され、
1987年4月から金沢女子大学前(現.金沢学院大学)へと路線延長され、
現在の路線の骨格になりました。

この幕は95年にローマ字併記になる前まで使用されていたもので、
11系統と見分けがつくようになっていました。

画像ご提供:助ける役さん。




90年代になると10系統は次第に減便・短縮され、
影の薄い路線へとなっていきます。
金沢駅発着便が増えた代わりに本数は30〜40分に一本となり、
96年ごろには武蔵が辻発着便も消滅し、錦町A線時代最終年である97年には
とうとう日中便が間引きされるという末期的状況になりました。


97年までは金沢駅(東口)発着でした。
また、兼六園下を通っていたのもこの年まででした。
唯一例外的に兼六園下をその後も経由していたのは、
朝の辰巳丘発の系統でした(02年ごろ消滅)。ただし、
これは武蔵ヶ辻までだったため、
金沢駅〜香林坊〜兼六園下〜東部車庫
は97年で消えています。



末期的状況だった10系統ですが、1998年に一大転機が訪れます。
合理化の一環として現在多くの路線でなされている結合路線の第一期として、
70粟崎線と路線を連結し、錦町粟崎線となりました。このため、
本数は一気に30分間隔にまで増え、経路も「成巽閣前」経由となり
路線の個性も出てきました。
現在はこの広坂〜成巽閣前〜出羽町がこの系統のハイライトとなっています。

担当は東部と西部となり、お互いに日野車の営業所だったため、
それほど大きく路線のイメージは変わりませんでした。
幕は東部担当と西部担当とで異なっており、上の幕は東部営担当の幕です。
現在でも東部車の多くにこの幕が残っており、幕回しの際に見ることができます。



2003年に東部担当の錦町粟崎線はほくてつバス北部の担当となり、
東部駐在車両が路線を担当するようになります。
この際、幕は新調され、西部営と同じものになりました。

車両はこの頃からふそう車中心となり、「東部らしさ」はなくなりました。
が、06年9月にほくてつバスで車両大移動があったため、
07年はほくてつ担当が日野93年式(23−366シリーズ)、
西部担当は458・459・日野ワンステが走っていました。

08年4月、この錦町粟崎線から西部が撤退し、ほくてつバス北部が
担当することとなります。これで、東部駐在と柳橋の違いはあれど、
同じ営業所の車両で統一されました。
両端には西部車庫、東部車庫がそれぞれあるのに担当は全く異なる
柳橋、というのはいかがなものかと。。。

画像は、ほくてつと西部担当時代のほくてつバスのものです。



東高校行きも、東部車庫行きと同じ経由地表記です。
この幕は、西部とほくてつ(柳橋)のものです。

画像は、西部担当の頃のものです。
とくに03年から06年にかけては、10系統の多くを三菱車が
占めていましたが、現在は車両こそ新型の「日野エルガ」ですが
日野中心となり、原点回帰しております。



南部営初期に入っていた幕はこのような表記でした。
経由地表記も何もなく、どの系統で使われていたのかははっきりしません。



東部の車両には経由地表記が「金沢駅西口」のみの
幕が採用されていました。この幕は、現在も東部車の多くに
残っていますので、幕回しのさいに見ることができます。

また、「金沢学院大」表記も東部の特徴ですが、
西部の車両にもこの表記の幕がありました。
(経由地表記は「金沢駅西口/香林坊」ですが。。。)



柳橋と一部の西部の車両にはニュータイプの幕もあり、
「金沢学院大学」表記となっていました。

画像ご提供:若原さん。



さきほどと同様、南部営初期の幕です。
使い道は不明ですが、松任からの学院大学行きに使われていたのを
見たことがあるような気がします。。。



かつての主流系統ですが、08年4月で消滅しました。
幕は西部、ほくてつバスのものです。



こちらも南部に入っている幕です。
やはり経由地表記がありませんが、ローマ字併記になっています。
この幕は、香林坊〜兼六園下〜錦町の系統で使われていたようです。

画像ご提供:H−199さん。



結合する前の幕です。
98年3月に金沢駅西口経由の粟崎行きに変更されたので、
「金沢駅」表記そのものが懐かしいですね〜



80年代はほとんどが武蔵ヶ辻〜錦町の運行でしたが、
平成4(1992)年には香林坊止まりと金沢駅行きに
ほぼ統一されました。
朝夕ラッシュにはその後も武蔵ヶ辻行きは見ることが
できましたが、最後は辰巳丘→武蔵ヶ辻の1本のみと
なり、細々と消滅していきました。



西部営に入っている幕です。
モーニングダイレクトで金石発錦町行き
(08年4月で消滅)の戻りは
錦町発金沢駅西口行きになっていました。



上記の系統がほくてつバス(柳橋)の担当になってからは
幕が新調され、「成巽閣前」が追加されました。
もちろん、残念ながら現在は見ることはできませんし、
該当便そのものも消滅しております。